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は〜つ・おぶ・愛あん ドイツルートその3/-バレンタイン・カプリッチオ-

Written by MJS

 バレンタイン。正しくはセント・バレンタイン・デー、即ち、「聖バレンタインの日」。
 恋人の守護聖人とされた聖ウァレンティヌスに由来する日とされ、恋人に花束や菓子な
どを贈る風習がヨーロッパには広く根付いている。ちなみに、「女性が意中の男性にチョ
コレートを贈って告白する日」というのは間違いなく日本発祥だが、バレンタイン用の
チョコレートというのは19世紀には既にイギリスに存在しており、チョコレートを贈る
習慣がなかったわけではない。もちろん、それも製菓会社が自社製品のアピールに作った
ものであることに違いはなく……。

 「つまり、商業主義に踊らされたこんな習慣は即時撤廃すべきだっての!」
 「……いきなり立ち上がって何を叫んでるんだ、在人」

 男二人で書類整理をしていた侘しい部屋で、どこからか怪電波でも受信したのかいきな
り立ち上がって叫びだした塩辺在人を、心底呆れた表情で軽出狼一がたしなめた。

 「うっさい、この男の敵!」
 「なんでだ」

 どう考えてもうるさいのはいきなり叫びだしたお前だろうとか、色々狼一にも思うとこ
ろはあったのだが、とりあえずその辺は口には出さなかった。面倒くさいし。

 「いーよなー。おまえはさー。エリカちゃんとリアンちゃんから貰えるんだろー」
 「お前にだって誰かいないのか?」
 「はっ。いたらこんな日にこんなところでお前と二人で書類整理なんかやってるわけな
いだろ!?」
 「いや、それはそれで問題発言だろう」

 仕事をサボることを堂々とカミングアウトしてはいけない。2/14は祝祭日でもなん
でもないのだから。
 などと、書類整理の合間に愚痴を聞き、気がつけば愚痴の合間に書類整理をやってる状
態になって、これもう仕事は明日にして飲みにでも連れて行った方が早いのだろうかと狼
一が思い始めたその時だった。

 「狼一!」「狼一さん!」

 すさまじい音を立てて部屋の扉が開かれたかと思うと、二人の女性が駆け込んできた。
なお、扉の蝶番は見るも無残な有様になり果てている。この件で二人は後に沙耶子にこっ
てり絞られることになるのだが、とりあえず今は関係ない。

 『私のチョコレートを!』
 「受け取って下さい!」「受け取ってくれ!」

 ずい、とエリカとリアン、二人から目の前に突き出されたチョコレートに、思わずのけ
ぞる狼一。だが、二人はまるでそこが踏み込む隙であったかのように、更にずずいと前へ
出てきた。そして、ぐい、とチョコレートをさらに突き出す。
 そんな二人の様子に狼一は軽く天を仰ぎ、小さくため息をつき、そして意を決して、

 「ありがとう、二人とも」

 両方を受け取った。結局それは問題を先延ばしにしているだけで、いつかはどちらかを
泣かせてしまうと分かってはいるのだが。一方のエリカとリアン、二人の顔には受け取っ
て貰えた嬉しさと、自分だけを選んで貰えなかった寂しさが半分ずつ。だが、ここで退い
ているようでは、この三角関係で今まで張り合えない。

 「あのっ、狼一さん。仕事が終わった後、一緒にディナーをどうですか? 最近できた
イタリア料理のリストランテが、智恵さんもお勧めで……」
 「あっ、ずるいぞエリカ! 狼一、それよりバーだろ? 行きつけの店にいいドイツワ
インが……」

 喧々囂々。二人に挟まれた狼一がどう対応すべきか暫し逡巡していると、助けの手は意
外な所からやってきた。

 「……お主ら、中々戻ってこぬと思っておったら、やっぱりここであったか」
 「……あ、ルントシュテット元帥……」
 「い、いや。これはその、だな? ほら、わかるだろ?」

 二人が声を震わせながら振り返ると。小さな体に漲る威厳。ドイツ陸軍最重鎮、ルー
ルー・ルントシュテットがそこにいた。顔は笑顔だが、こめかみに浮かんだ青筋は隠しよ
うがない。否、隠す気などない。

 「勤務時間外にまで口を出す程わしは狭量ではないがの……勤務時間中は仕事せぇや、
小娘どもがっ!!」

 ごん、がん、と小気味よく鈍い音がする。おお、痛そうだ。などと全く人ごとのように
狼一は思った。……実際人ごとだが。

 「も、申し訳ありません、ルントシュテット元帥……」
 「す、すまない……」
 「わかればよい。軽出、塩辺、騒がしくして済まんかったの」

 憔悴状態のエリカとリアンを引っ張って退出するルントシュテットに、気にしていない、
という風に狼一は手を振った。
 パタン、という音と共に扉が閉ざされると、先ほどまでの嵐のような騒ぎはなんだった
のか、という気にさせられる。ガタン、という音と共に扉が傾いだのは見ないことにする。

 「…………」
 「…………」

 妙な沈黙が、部屋に降りた。

 「…………」
 「…………」
 「……やっぱり暗くて狭い所は落ち着く……」

 ついでに部屋の隅のロッカーから変な声が聞こえた気もしたが、聞こえなかったことに
した。

 「……あー、この事項は諜報部と折衝をしないと駄目だな。シェレンベルクの所に行っ
てくる。留守は頼んだぞ」
 「……あいよ」

 誤魔化すように視線を落とした書類を手に、なんとも間の抜けた空気を引きずりながら、
よっこいしょと壊れた扉を横の壁にたてかけて、狼一は部屋を出て行った。

 「……WAWAWA忘れ物〜♪ 俺は忘れ物〜♪」

 狼一がいなくなって一人ぼっちの部屋(え? ロッカー? 中に誰もいませんよ?)。
机に突っ伏し、妙な歌を歌いながらしくしく泣き出す在人。確かにあれはあれで大変かも
知れないが、やっぱり美少女二人に迫られるというシチュエーションは羨ましいのだ。

 「うわ、なんやこれ!? 敵襲!?」

 と、外から訛りのきつい女性の声が聞こえてきた。むくり、と起き上がって戸口の方を
見れば、ギレーヌが何やら驚いた様子で中を覗き込んでいる。

 「どした、ギレーヌ。狼一ならさっき出かけたぜ?」
 「ん? ……はわっ、在人はん!?」

 扉が壊されていることにびっくりして、中まで気が回っていなかったのだろうギレーヌ
の様子に苦笑しながら、在人はひらひらと手を振って、先ほどあったことを説明した。

 「はぁ……しかし、それは好都合」
 「ん、なんか言ったか?」
 「ああいやいやいや別になんも。……えっと、そのー……」

 何やらもじもじとしているギレーヌに、在人は首をかしげる。

 「ああ、トイレならそっち――」
 「デリカシーってモンないんかいこのトーヘンボク!」
 「ほぐぉ!?」

 鈍い音と共にギレーヌの拳が在人の顎に突き刺さる。

 「は、しまった!? 大丈夫でっか、在人はん?」
 「おおお……今のは効いたぜ……」

 勢いでやってしまって、慌てて介抱しようとするギレーヌ。在人もギレーヌの助けを借
り、なんとか立ち上がった。そして、ふとここにギレーヌがいる意味を考える。

 「で、結局何の用なんだ?」
 「あう、いや、えっと、やね……」

 視線を逸らし、意味のないことを呟きながら暫し逡巡するが、やがて意を決したように、
在人に持っていた包みを差し出した。

 「在人はん、これっ!」
 「ん?」

 それを在人は何の気なしに受け取り、包みを開く。中身はクッキーだった。一つ摘んで
さくっとかじる。ほのかな甘さがちょうどよい。

 「旨いな。ひょっとして手作りか?」

 嬉しそうな表情で、こくこくと頷くギレーヌ。二つ、三つとつまんで、在人はギレーヌ
に笑顔でこう言った。

 「そっか。差し入れ、サンキュー。狼一にも渡しとくよ」

 途端、ギレーヌの表情が険しい物になる。あれ? と在人は思う。或いは彼がもう少し
気のつく人間であれば、このギレーヌの持ってきた物の意味に気づけたかも知れなかった
が、残念ながら彼には、何がまずかったのか反省する時間は与えられなかった。

 「在人はんの……」

 ぐっ、と腰を沈み込ませ、上半身に捻りを加える。そして、

 「あーーーほーーー!!」
 「ごふあっ!?」

 思いの籠った叫びと共に、渾身の一撃が在人の腹を抉った。

 「うわあぁぁぁぁぁぁん!!」
 「な、なぜ…………」

 そして、泣きながら走り去るギレーヌ。だが、悶絶している在人に彼女を引き留めるだ
けの余裕はなかった。

 「……馬鹿ばっか」

 ロッカーの中からそんな声が聞こえてきた気もしたが、それに返事できる者もいなかっ
た。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 ここで時間を朝まで巻き戻そう。
 まだ朝早いベルリンの街を、急ぎ足で歩く男の姿があった。手に持っている花束は、赤
い薔薇。ベタと言えばこの上なくベタではあるが、同時にその辺りの実直さは彼らしいと
言えば彼らしかった。男の名はウィルヘルム・“リッター”・フォン・レープ。ドイツ軍
の中では古参の重鎮であり、またかつてあった緋村美里との一件から、ドイツ軍内部では
ある意味で非常に有名な人物でもあった。
 そんな彼が早朝から花束を持って歩いているのは、もちろん今日がバレンタイン・デー
だから……でもあるのだが、前日にルントシュテットより「お主、明日が何の日か分かっ
ておるじゃろうな? 恋人に花束の一つも用意せんでは、愛想を尽かされても仕方ない
ぞ?」と言われたからである。それで朝早くから花を売っているスタンドを探し、実際に
言われた通り花束を用意する辺り、彼の不器用な生き方がよく現われている、と友人たち
は苦笑を浮かべるかも知れない。
 ともあれ、ようやく目当ての物が手に入った。後は渡すだけ……と思っているレープの
耳に、何やら子供がすすり泣くような声が耳に入った。それも、ちょうど自分が向かって
いる方から。
 やや足早に声の聞こえている辺りに向かうと、まさに道にうずくまって子供が泣いてい
る。流石に放置もできず、レープはその少女に声をかけることにした。

 「どうした、転んだのか。大丈夫か?」
 「ひっく……わたしは、大丈夫、だけど……ぐすっ」

 見ると、辺りには花が散乱しており、しかも幾分か泥まみれになってしまっている。恐
らく、少女が転んだ時にばらまいてしまったのだろう。

 「……あー、これは」
 「おかーさんに、買った、のに。ひくっ」

 こつこつ貯めたお小遣いで買ったのかもしれない。それをこんなにしてしまっては、確
かに悲しいだろう。一つ、大きく息をつくと、レープは手元の花束から数本薔薇を引き抜
き、それを少女に手渡した。

 「……おにーさん、くれるの?」
 「ああ、俺のはこの通り、まだまだあるからな」

 某総統が見れば「そういう問題じゃないでしょ!?」と怒鳴りそうな光景だったが、本
人は至極真面目で、本気だった。だがともかく、少女に取ってはこれは間違いなく救いの
手であった。先ほどまで悲しみに歪められていた顔が一転、満面の笑顔に変わる。

 「おにーさん、ありがとう!」
 「何、大したことじゃない。それより、また転ぶんじゃないぞ」

 レープにぶんぶんと手を振りながら家路を急ぐ少女を見送り、さて自分も急ぐかと動き
だそうとした所で、

 「このロリコンめ」

 などという声と共に、急に肩が重たくなった。と言うか、背中に柔らかいものが当たっ
ている感触があるし、ついでに言えば肩には自分のものではないほっそりした白い腕が
回って自分を抱きしめている。横を見れば案の定、こちらの肩に顎を載せている女性、緋
村美里の顔が見えた。

 「このロリコンめ」
 「……誓って言うが、あの少女とは初対面だ」
 「それでバレンタインデーに薔薇を渡したのか、このロリコンめ」

 さっきから同じフレーズを繰り返して責め立てているように見えるが、その実言葉程に
怒っている様子は見えない。或いは状況は全て見ていたのだろうか。だとすれば、自分に
来るはずの花束の一部を分け与えたことに、拗ねているだけなのかも知れない。

 「……分かった、どうすればいい?」
 「そうだな、減った分の花の埋め合わせが欲しい」

 そう言うと、美里はすっと身体を離し、レープの正面に回る。そして、目を瞑り、手を
後で組んで、心持ち上向き加減になった。レープは自他共に認める朴念仁だが、ここまで
お膳立てされれば、流石に美里が何を望んでいるかは分かる。

 「……朝っぱらから、往来の真ん中でか?」
 「さっき朝っぱらの往来の真ん中で少女を口説いていた男の言う台詞じゃないな、この
ロリコンめ」

 そう言って、悪戯な笑みを浮かべながら片目を開いてレープの様子を窺う美里。どうや
ら降参するしかない、とレープは悟った。レープが一歩近寄るのを見て、再び目を閉じる。
 そわそわと逸る心を抑えながら、待つ。

 「どきどき」
 「わくわく」

 ゆっくりとレープが美里に近づいていき――

 「どきどき」
 「わくわく」
 「って、そこで覗いてるヤツ誰だー!!」

 後から聞こえてきた小声に、思わず美里が物陰を振り返り、怒鳴る。けたたましい何か
をひっくり返すような物音の後、ばたばたと慌ただしく駆けていく足音がした。

 「はっ! 見つかりました。逃げますよゼナ子さん!」
 「あいよ、ミコスさん!」
 「貴様らかぁぁぁ!!」

 明らかに聞き覚えのある声に、罵声と共に追跡を開始しようとする美里。しかし、ふと
振り返ると目に入った呆れた様子のレープに、一つ、悪戯心が浮かんだ。

 「ウィリー」
 「なんだ? 追いかけるなら早く――」

 行けばいい、という言葉は、美里の唇に塞がれて口に出されることはなかった。唐突な
柔らかい感触に、知らず、思考が真っ白になる。

 「これでチャラにしておこう、うん」

 顔を赤らめつつも、何やらもっともらしく咳払いをする美里。レープも、流石にこの不
意打ちにはリアクションが取れなかった。

 「待て、ゼナにファルサミコス! 貴様らとは一度じっくり話し合う必要がある!」
 「うんにゃ、こっちにはないね!」
 「スタコラサッサです!」

 そう叫びながら二人を追いかけていく美里を、レープは呆然と見送ることしかできず。

 「……しまったな、渡しそびれた」

 口をついたのは、そんなずれた感想だけだった。

 
 
 

 余談ながら、結局ゼナとファルサミコスは逃げ切った。

 
 
 

 そしてもう一つ余談ながら。

 「ふふふ、スクープゲーット!!」

 と、物陰でカメラ片手にガッツポーズする人影に気づく者もいなかった。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 「…………朝から無駄な体力をつかった」
 「あいつらを正面から相手したら駄目だ」

 流石に朝っぱらからの全力疾走は堪えたのか、美里はかなり疲れた様子だ。それでもど
こか妙に嬉しそうなのは、やはり手の内にある花束のせいだろうか。とりあえずそうだと
レープは思っておくことにした。まさかその前の不意打ちの……思考停止。それを思い出
すのは、とても気恥かしい。
 ともあれ、仕事を始めるには少し早いが、それならコーヒーでも飲みながら歓談するの
も悪くなかろうと執務室の扉を開け、

 「…………」
 「…………」

 特に申し合わせた訳ではないが、ぱたん、と扉を閉めた。

 「……今、何か見えたか?」
 「……気のせいだろう。私は何も見なかった。何も、な」
 「そうだな、何もなかった」

 そうして必死に先ほど見えたものから意識を逸らそうとした矢先、扉が内側から開かれ
た。

 「お二人ともどうしたんですか? ささ、どうぞ中に。外は寒いですからねー」

 そう言って、一応陸軍総司令である芙蓉蒼子が二人を招く。
 だが、否応なく現実を突きつけられた二人は、何やら疲れた様子で、それでも蒼子に確
認を取ることにした。

 「芙蓉。ひとつ、聞きたい」
 「? なんでしょう?」
 「……アレは、ナンだ?」

 なぜそんなことを聞くのだろう。そう言いたげに首をかしげながら、蒼子は答えた。

 「バケツプリンですが」

 ああ、プリンか。そびえ立つでかさを別にすれば、なるほどプリンに見えなくもない。
ていうか、これだけでかいと自重で潰れるんじゃないのか? などと、非常にどうでもい
い考えがレープの頭の中を回る。空回り、とも言うが。
 なんとはなしに視線を巡らせれば、もう一つ山があるのが見えた。一心不乱にその山を
掻き込んでいるのはドイツの食王、藍沢手虎。こちらの視線に気づいたのか、軽く手を振
ると、そのまま山の征服を継続する。

 「……そう言えば、以前も食べてたな」
 「ふふふ、バケツプリン……それは女の欲望番外地っ!」

 何やらぐっ、と拳を握り締めて吠える蒼子に、美里は呆れたようにつぶやいた。

 「何もバレンタイン・デーの朝っぱらからそんなものを食べなくても……」

 カシャーン、という金属音が、やけに遠く響いた。ぼんやりと手虎がプリンを掻き込む
様を見ていたレープが、ふと我に返る。見れば、蒼子が呆然とした様子で口を半開きにし、
わなわなと手を震わせていた。足元を見れば、スプーンが落ちている。さっきの金属音は
これだろう。

 「ひ、ひむらさん。なにをいってるんですか。べつにこんなひにあいてがいないからや
けになっているとかそういうことではなくてですね。だいたいわたしははうさーさんとち
がってまだわかいわけですし……」

 いや誰もそこまで言ってない、とは美里は突っ込めなかった。何というか、あまりに鬼
気迫るものがあったからだ。ぶっちゃけ、関わりたくない。
 非常にどうしようもない空気の中、はむはむと一人我関せずで手虎がプリンを食い続け
る音だけがする。誰でもいいから何とかしてくれ、というレープと美里の願いに応えるか
のように、救世主は現われた。

 「お主ら、戸口に突っ立って何をしておるんじゃ」
 「あ、ああ。ルントシュテット元帥。おはようございます」

 何とか重い空気から立ち直った美里が、背後から現れたルントシュテットに挨拶をする。

 「んむ。ところでお主ら、来栖を見んかったかの?」
 「いや、俺たちも今来たところでな。芙蓉はどうだ?」
 「そもそもであいがすくなすぎるんですよじょせいがおおいしいいおとこはすぐうれる
し……はっ?! な、何ですかレープさん?」
 「いや、ルントシュテットが来栖を探してるとかでな」

 レープの問いに、ようやく再起動した蒼子は暫し天井を仰ぎ、考えて答えた。

 「いやー……楓さんは見てませんよ?」
 「ふむ、するとまだ出てきておらんのかの。打ち合わせたいことがあったんじゃが…
…」

 そう愚痴るとルントシュテットは退去しかけ、そして何かを思い出したかのように止ま
ると、振り向いて告げた。

 「ああ、三人とも。さっさと逃げることじゃな。では」
 「は?」

 怪訝な顔で蒼子は首を傾げるが、レープは直ぐに何かに思い当ったらしく、慌てて美里
の手を引いた。

 「そう言えばルーデルに呼ばれていたことを思い出した。行くぞ、緋村。ではな、芙
蓉」
 「え?」
 「ああ、はい。それではー」

 まだ状況を理解していないのか、反応が鈍い美里の腕を抱え込むようにして、レープが
連れていく。それは、確かに仲の良い恋人同士に見えて。蒼子は大きくため息をついた。

 「いいなぁ、緋村さん」

 と、そう呟いて。ふと、何やら物凄い足音が聞こえてくることに気づいた。と同時に、
何やら地獄の奥底から響いてくるような声も聞こえる。

 「だぁぁぁぁぁ〜〜〜れぇぇぇぇぇ〜〜〜がぁぁぁぁぁ〜〜〜」
 「……あ、あれ? ハウサーさ」

 その走ってくるモノというのがハウサーだ、と蒼子が認識した瞬間、

 「いき遅れの年増だぁぁぁぁぁっ!?」
 「ほぎょおっ!?」

 猛然と駆けてきたハウサーのラリアットをまともに食らい、ようやく蒼子はルントシュ
テットの警告の意味と、レープが慌てて逃げた理由を知ったのだった。……まあ、すでに
手遅れだが。
 その後、蒼子は身動きできないままハウサーに締め上げられ、広い河で赤髪巨乳の船頭
にこの世の無情を愚痴ることになるのだが、それはまあ余談である。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 「……今、どこかで魂の消えるような悲鳴が聞こえた気が……」
 「恐らく芙蓉だ。冥福を祈ろう」
 「そう言えば、ハウサーのどなり声も聞こえたな……まったく、雉も鳴かずば撃たれま
いに」
 「ウチの軍には自分から地雷原でタップダンスを踊りたがる連中が多すぎるな」

 などと益体もないやり取りをしつつ、空軍の執務室の前につくと、何故か扉にへばりつ
いている金髪美人の姿が目に入った。何やら扉の隙間から覗き見をしてるようにも見える。

 「あれは……ミルヒ元帥?」
 「何をしているんだ?」

 美里の言葉に、レープも首を傾げる。いや、単純に考えれば「覗き」なのだが、仮にも
空軍元帥などという人間がそんなことをする理由が……とそこまで考えたところで、「で
もドイツ軍だし」というタームが美里の脳裏をよぎり、それで納得しかけた自分に思わず
脱力した。

 「どうした、緋村」
 「……なんでもない。ちょっと我が軍のあり方に疑問がわいてきただけだ」
 「…………そうか」

 慰めるように美里の肩を叩くレープ。美里もややあって立ち直ると、

 「まあ、それも今更か。しかし、これからどうする?」
 「どうする、とは?」
 「いや、ルーデルに呼ばれている、というのは逃げ出す口実じゃなかったのか?」
 「ああ、いや。一応事実だ。まあ手が空いた時でいいとはいう話だったが。対地支援に
関する戦術討議をする予定でな」
 「なるほど……とすると」
 「一応あの先に行きたいわけだが……うぅむ」

 と視線をやれば、ミルヒが相変わらず扉の隙間にいる。時折小さく拳を握りしめている
あたり、中で何かがあるのは分かるのだが……。

 「…………どうする、レープ?」
 「…………正直、見なかったことにして引き返したいが、そうすると行く先もなくなる
しな……」

 流石に今陸軍の方に戻るのは躊躇われた。誰だってこんなところでくだらない理由で無
駄に命は落としたくない。既に尊い犠牲もでたことであるし。

 「では、一応声を掛けてみるか」
 「そうだな。ルーデルがいないとなれば、その時は改めて別の所に行けばいい」

 方向性に一応の一致を見て、二人はそっとミルヒの後から立ち寄った。何故か二人とも
忍び足である。もっとも、何となく気持ちは分かるが。
 そして、ミルヒの背後に立つと、レープはミルヒの肩を軽く叩いて声をかけた。

 「ミルヒ?」
 「うひゃあっ!?」

 しかし、背後からいきなり声を掛けられたことに驚いたのか、ミルヒは素っ頓狂な悲鳴
をあげて振り向こうとし、そのままバランスを崩して倒れてしまった。……ずっと覗いて
いた、扉の隙間に向かって。

 「あれ、クラウディア?」
 「さっきから気配がしていたが、貴様だったのか……」

 そんなミルヒを呆れた様子で部屋の中から見ているのは、鈴久と土門だった。二人して
部屋のソファーに座っているのだが、随分と位置が近い。睦言とまではいかなくとも、バ
レンタインらしく二人の時間を過ごしている最中だったのだろう。

 「…………クラウディア。正直、仮にも元帥位を持ってる人間が覗きはどうか? と私
は思うんだが」
 「うっ……ち、違うわよ!?」
 「何が違うのか、そこんところ詳しく聞かせてほしいなー?」
 「え、あ、と、そのー……」

 突然の展開にいっぱいいっぱいになっているミルヒ。それを無視して、ざっと部屋の中
を見回すレープ。……どうやら、ルーデルはいないようだ。

 「霜月、ルーデルがどこにいるか知らないか?」
 「あー、今日は新型機の運用試験だったはずだよ。多分、手が空くのは昼過ぎじゃない
かなぁ」
 「そうか、ではその頃また来よう。邪魔したな」
 「ううん、いいよー。その間みーたんの面倒見てあげてね?」
 「みーたん呼ぶなっ!?」
 「一々相手にするな、行くぞ緋村」

 そう言ってごく自然に美里の手をひき、レープは退出する。

 「あ、それじゃ私もこれで……」
 「ちょいまち、クラウディア」

 一緒に逃げようとしたミルヒを、後から捕まえる鈴久。

 「ふふふ……このまま逃がすと思うてか」
 「ううっ……私としたことが、不覚」
 「とっりあっえずー、この仕事、よろしくねー♪」

 そう言って、鈴久はどさどさとクラウディアの前に書類を積み上げる。

 「ちょっ、何よこの量!」
 「いやー、最近色々あって溜まっちゃってさぁ。じゃ、私は土門と出かけてくるから、
後は頼むっ!」
 「待ちなさいよこのモルヒネジャンキーちびっ子ぉぉぉ!?」

 ミルヒの絶叫に耳を貸さず、鈴久はさっさと土門と一緒に退出していった。ややあって、
ミルヒはがっくりと肩を落とすと、のろのろと書類の整理を始めたのだった。

 
 
 

 「……俺が言うのも何だが、良かったのか?」

 鈴久に問いかける土門に、鈴久はいつもの笑顔を返す。

 「んー、だいじょぶっしょ。私じゃなきゃダメなのは、ちゃんと昨日までで処理し
ちゃってるからね」
 「いや、そう言う問題ではない気がするんだが……」
 「それともぉ」

 彼らしい真面目さで鈴久に何事かを言おうとする土門の言葉を遮るように、鈴久は土門
の腕を取って身体を寄せる。

 「お嫁さんになる予定の彼女が、特別な日に一緒にいたいって言ってるのを無碍にする
のかな、キミは?」
 「……いや、そういう、わけでは、ない、が」
 「じゃ、それ以上グダグダ言わないっ! と言うわけで、れっつらごー♪」
 「どこへだ?」
 「どっか考えてよ。それは男のかいしょー、ってヤツ?」

 そんなことを言いながら、腕を組んだまま仲良く歩く。二人が式を挙げるのも、きっと
遠いことではないのかも知れない。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 「さて、そんな甘ったるい雰囲気とは全く無縁の総統執務室。あ、申し遅れました。私
ヘスと申します。ヘス、あるいはヘス、またはヘスとお呼びください」
 「……誰に向かって喋ってんですか、ヘスさん? というか、全部同じです、ソレ」
 「ついでに『甘ったるい雰囲気とは全く無縁』とか、余計なお世話よ」

 いきなりあらぬ電波を受信して意味のわからないことを言い出したヘスに、胡乱な目を
向ける満と沙耶子。だが、ヘスはそんな視線を意に介することなく言葉を続ける。

 「しかしですねぇ。折角のバレンタインデーに女三人で事務仕事って、なんかアレじゃ
ないですか。満も、日野執政に会いたいなぁとか思わないんですか?」
 「仕方ないじゃない、バレンタインだろうがクリスマスだろうが世の中は動いてるんだ
し。それに、ダーリンにはちゃんとプレゼントを贈ってるわよ」
 「そういうところ、マメですよね、総統は」
 「まあね。……ところで」

 手元の書類を確認し終え、サインをすると満はヘスに視線を向けた。

 「そういう貴女こそどうなのよ、ヘス?」
 「え、私ですか? いやほら、だって、私ですから」
 「……何故かしら。何の説明にもなってないはずなのに、何か妙な説得力が……」
 「……同感です」

 自信満々に、何の説明にもなってない台詞を返すヘスに、何故か二人とも納得してしま
う。まあ、それこそがヘスという人物の在り方だと言えばそれまでなのだが。

 「それに、祭日だからと言って浮かれずに、こうやって日常通りってのも悪くないと思
いますけどね。あの連中を見ると特に」
 「……あの連中?」
 「沙耶子、少し窓を開けて貰えますか?」
 「へ? は、はぁ」

 ヘスの唐突な発言に首を傾げつつも、沙耶子が窓を開ける。すると――

 
 
 

 「ドイツ軍人の生き様はっ!!」
 「「「色無し! 恋無し! 情けあり!」」」

 
 
 

 藤代春美の呼びかけに応える独塾メンバーの叫びを聞き、沙耶子はからからから、と無
情なまでに軽快な音と共に、窓を閉める。そして、そのまま窓際でしゃがみこんでしまっ
た。

 「な、何をやってるのよ独塾の連中は……」
 「カップルを『しゅくせー』するとか息巻いてましたよ。まあ、ベックさんとシェレン
ベレクには報告しておきましたので」
 「そ、そう……なら、放置しておいても大丈夫かしら」

 さりげなく、現実から目を逸らす満。誰だって、あんなめんどくさいものには関わりた
くないのだ。半強制的に関わらざるを得なくなるMPや諜報部員には、お疲れ様と言う他
ないが。

 「あれ?」

 そこで、ふと何かに気がついたのか、沙耶子が声をあげる。

 「そういえば、フリッチュさんの姿が見受けられませんでしたが……」

 今の今まで、何事にも平常心を保ち続けていたはずのヘスの動きが、この瞬間ピタリと
止まった。そして、油の切れた機械のような軋んだ動きで、のろのろと沙耶子の方に視線
を向け、虚ろな笑みを浮かべる。

 「ど、どうしたんですかヘスさん? 私、何かまずいことを言いました?」
 「……ええ、大変に」
 「あの、私も嫌なことに気づいちゃったんだけど」

 そう言いながら、満もまた虚ろな表情をした顔をあげた。

 「…………今日、エヴァが休みを取ってるのよ…………」

 
 
 

 まるでどこぞの吸血鬼かメイド長の能力が使用されたかのように、止まる時。

 
 
 

 ……そして、時は動き出す。

 
 
 

 「……いやあ、今日もいい天気ねぇ」
 「……ええ、ホントですね。ああ、沙耶子。こちらの予算ですが……」
 「……ちょっと経費がかかり過ぎてますね。霜月さんには一度厳重に……」

 逃避。それは正常な精神の防衛反応である。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 さて、裏庭で独塾の面々が執り行った決起集会から暫く後。空軍の執務室を退去した
レープと美里は、何やら忙しげに走り回る諜報部員を避けて歩く内に、あまり人気のない
中庭にたどり着いていた。小さな花壇とベンチがあり、職員が休憩に用いたり、ファルサ
ミコスが丸くなって寝ていたりする場所である。
 今そこでは、ベンチに腰掛けるレープと、彼にもたれ掛かるようにして眠っている美里
の姿があった。

 「まあ、信用してくれているということなのだろうが。無防備すぎないか、美里?」

 などと問いかけても、返ってくるのはくうくうという可愛らしい寝息だけである。
 この場所にたどり着いて一休みとばかりにベンチに座ると、美里がうつらうつらとし出
したので尋ねてみれば、ここ数日忙しくてあまり寝ていないとのこと。ならばぽっかりと
開いた今の時間、少し休めばどうだと言った結果が……今の状態である。

 (仮眠室でも使え、という意味だったのだがな)

 しっかり休むにはその方が間違いなくいいのだろうが、よっぽど眠かったのか、そこま
ではっきりと寝る態勢にはなれないというある種の責任感か、それともレープに対する甘
えとも言うべきものか。恐らくは全部なのだろう。

 「分かってるか? 俺だって一応、男なんだぞ?」

 などと口では言っても、こうも明け透けな信頼を見せられれば裏切れないのは、ウィル
ヘルム・リッター・フォン・レープという男自身が一番よく分かっていることで。結局の
ところ、彼にできるのは膝を貸してやり、優しく手櫛を入れるぐらいのことだった。尤も、
彼が顔に浮かべている微笑みと、幸せそうな美里の寝顔を見れば、つまりは周囲の評価と
しては「お似合いだよお前ら」ということになるのだろう。

 
 
 

 「……ま、それを邪魔するのは野暮ってモンさね」
 「ええ、そうですね」

 そんな二人を横目に見ながら物陰で会話しているのはベックとボックだった。ベックは
ヘスの報告を受けて独塾の連中の動きを抑えようとしており、ここでボックを見つけたわ
けだが。

 「まあ、アンタの物分かりがよくて助かったさ。アタシもこんな日に余計な仕事を増や
して欲しくないさね。タダでさえ嫉妬に駆られた馬鹿が多く出る日だってぇのに」
 「あはは。まあ、僕も付き合いってものがありますから……」
 「苦労はお互い様、ってことさね。どうさね? 仕事が捌けた後にでも、一杯?」
 「いいんですか?」
 「奢りじゃないさ」
 「あはは……でも折角のお誘いですし、お付き合いします。でも、いいんですか?」

 再度同じ言葉で、違う意味で尋ねるボックに、ベックは肩を竦めて答える。

 「そんな相手がいたら、初めから誘わんさね。それこそ、『こんな日』に。ま、寂しい
モン同士、慰め合うのも悪くないさ」
 「くすっ、そうですね。それじゃ、僕は行きます。そろそろ春美ちゃんが迷惑かけて捕
まってる頃でしょうから」
 「お疲れさん、さね」

 そう言って苦笑しながら別れる二人。なお、この日の夜に二人で飲んでる様子が、戦場
のパパラッチによってスクープされ、後々しょうもない騒ぎの種になるのは、また別の話。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 諜報部。来春理非の計画が明るみに出てガタガタになったのも今は昔。シェレン・シェ
レンベルクを中心に立て直しを図り、今では昔日を凌ぐ働きをしている部署である。しか
しながら、本日の諜報部の相手は実にしょうもない連中であった。

 「Bチーム、カップルに対して襲撃をかけようとしていた不穏分子を抑えました」
 「今日一日独房で反省して貰って下さい。明日になれば頭も冷えるでしょう」
 「Eチームより報告。S大尉が、F中尉に贈られたクッキーを塩入りにすり替えたこと
を白状しました」
 「士官ともあろうものが。流石にノーペナルティというワケにはいきませんね。減俸を
進言しておきますか」
 「カップルにスパナで殴りかかろうとしていたヘプナー大将を捕まえました!」
 「そのまま簀巻きにしてふん縛っておいて下さい」
 「国境から緊急連絡。ルーマニア方面より侵入者2! 突破されました!」
 「あのファンキーな連中、今度は何をしでかすつもりですか。直ぐに人員を送って丁重
にお帰り願って下さい。後、タタレスクさんにも連絡を」

 寄せられる報告に、厭な顔一つせず淀みなく対処を告げていくシェレンベルク。それを
見ながら、狼一は引きつった表情を浮かべていた。

 「……失礼しました。それで、用件は?」
 「あ、ああ。大西洋での海上哨戒網についてなんだが……」

 幾つか打ち合わせて、修正点を書類に記入していく。狼一の確認が一通り終わる頃には、
またシェレンベルクの指示待ちの連絡が幾つか来ている、という按配だった。

 「それじゃ、この方向で進めていこう。……しかし、その。大変だな」
 「ええ、まあ。ですが、今日一日のことですし、先に楽しみも待ってますからね」
 「楽しみ?」

 いわゆる「浮いた噂」のないシェレンベルクであるが、ひょっとして誰か相手がいたの
だろうか、と思いを巡らせる狼一。しかし、シェレンベルクの答えは予想外のものであり、
また非常に納得いくものであった。

 「明日から暫くは、お菓子が安いんですよ」
 「……なる、ほど」

 シェレン・シェレンベルク。諜報部の重鎮にして……人呼んで「甘味王」である。

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 好奇心、探求心。未だ見ぬ何かを探し求め、世界の真実を追究する。それこそが人類の
歴史であり、人がここまで発展してきた一因であろう。が、しかし。

 「実験台にされる方の身にもなれっ! 科学の探究とか上辺の聞こえのいい言葉で誤魔
化すんじゃないっ!」

 魔人、モーデル。味方からは畏敬を、敵からは畏怖を込めて呼ばれるその名を持つ人物
は……今、マジ泣きだった。

 「いやいや、今度こそ大丈夫ですから。……計算の上では」
 「貴様の計算なんぞアテになるかー!?」
 「さて、それじゃカウントダウンお願いしまーす」
 「聞けよ人の話っ!?」

 泣き叫ぶモーデルを全く無視して実験の手順を進めていくイナバ。彼女の無駄に長い耳
には、どうやら都合の悪いことは聞こえない様子である。

 「V2ロケット試作6号機、いきまーす!」
 「ちょ、まてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 尾を引くモーゼルの悲鳴と共に、上がっていくロケット。ああ、空がきれいだなぁとか
どうでもいいことを思いながら、たまたまその場に居合わせたガーデルマンはそれを見
送った。
 例え世間がバレンタインで盛り上がっていようとも、いつも通りの日常を送っている人
間はいるのである。……それが良いか悪いかは別として。

 「取り敢えず大佐、背後から私の胸を揉もうとするのは止めて下さい」
 「む、勘が鋭くなったなガーデルマン。だが、今日はバレンタイン! よって、クッ
キーやチョコの代わりに」
 「どーいう理屈ですかぁぁぁっ!?」

 訂正。バレンタインという名目がつこうとも、結局いつも通りという人間もいる。それ
が良いか悪いかは別として。

 「確実に悪いですよっ!?」

 
 
 

 ※ ※ ※ ※ ※

 
 
 

 明けない夜がないように、暮れない日もまたない。さながら狂想曲(カプリッチオ)の
ごとく騒がしかった一日にも、終演の時は訪れる。

 「くう、写真を撮られていたとは不覚だった……」
 「…………」

 顔を赤くし、俯き加減で歩く美里の横を、黙々と付いて歩くレープ。朝のキスシーンを
ロンメルに撮られており、それをネタに満にさんざんからかわれたのだ。最後は脳天に肘
を叩き落として黙らせたが。レープも無表情を装ってはいるが、流石に若干顔が赤い。
 夜風が冷たい中を二人並んで歩く。気恥ずかしさはあるが、気まずいわけではない微妙
な空気。何とか雰囲気を変えたいと違う話題を探すレープだったが、先に切り出したのは
美里だった。

 「ああ、そうだ。色々あったので危うく忘れるところだった」

 そう言って、鞄から小箱を取り出し、それをレープに差し出す。

 「私からの、バレンタインプレゼントだ。その……受け取ってくれると、嬉しい」

 さっきよりも更に顔を赤くして、恐る恐ると言った感じで言う美里。時として大胆に
なったかと思えば、何でもないことで思春期の少女のように振る舞う。そのギャップがな
んとも面白く、レープも先ほどまでの妙な気分が一瞬で吹き飛んでしまった。

 「もちろんだ。有り難くいただこう」

 受け取り、レープが開けようとすると慌てて美里が止めた。

 「あああ、いやその、ダメだ。できれば、家で開けて欲しい」
 「そうなのか?」
 「その、手作りを頑張ってみたんだが、そこまで出来はよくなくて」
 「そうか、分かった」

 レープは苦笑を浮かべ、大事そうに受け取った小箱をしまう。彼女は出来はよくないと
言ったが……例えどんな出来でも、これは自分にとって超一流のパティシエの作った菓子
すら匹敵しえないものだと断言できる。レープは嘘偽りなくそう思っている。
 再び並んで歩き出す。レープがそっと手を差し出すと、美里は嬉しそうに微笑みを浮か
べ、その手を取った。まだまだ寒い二月の最中、繋いだ手だけが温かい。先ほどまでと同
じに見える沈黙も、どこか雰囲気が違っていた。

 やがて、分かれ道に差し掛かる。美里は名残惜しそうにレープの手を離した。別れは寂
しいが、なに、また明日会える。でも、今日は少しだけ贅沢を言いたい気分だった。だっ
て今日はバレンタインなのだから。

 「ウィリー」
 「どうした、美里?」
 「一つだけ、我が侭を言っていいか」
 「なんだ?」
 「……キスを、して欲しい。……その、朝のは、なんだか慌ただしかったからな」

 さっきまで満の前で醜態をさらしていた手前、若干の躊躇があった。とは言え、恋人に
はにかんだ様子でこういうことを言われて断れるほどには、レープは枯れていなかった。

 「……今度は、誰もいないな」
 「そうだな」

 念のため周囲の様子を窺う。……確かに誰もいないようだった。

 「……ふふっ、まるで密会をしているみたいだな」
 「ある意味、間違ってはないな」

 周囲の目を伺う自分たちの様子がおかしくなったのか、吹き出す美里に同調するレープ。
そして意を決し、美里を優しく抱きしめる。
 二月の月明かりが照らす中、恋人達は優しい口づけを交わした。


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