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HOI3/支那事変 ー事変を事変で終わらせるー/事変勃発まで

HOI3/支那事変 ー事変を事変で終わらせるー

上海上陸戦

支那事変勃発までの状況

牟田口廉也.png 生産とか研究とかは他のAARとか動画とかみてね。

本AARの目標は戦略級ゲームとしてのHoI3の作戦面の面白さを示すことが目標である。
従って戦争が始まる翌年7月まではダイジェストでお送りする。
その間スペイン内戦とか国共内戦、西安事件なんかがあったような気がするが割愛する。

翌年7月に中国との戦争が始まることは分かっているので、
今のところはともかく生産と研究は陸軍特に歩兵偏重とする。
他初期配置の騎兵部隊をユニット改良して、三個自動車化師団を編成した。

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1937年5月の生産状況。
歩兵師団を作れるだけ作り続けて、動員規模は大体史実の太平洋戦争直前位になった。
それでも中国は全体で皇軍の二倍、三倍の規模を有しているはずだ。
帝國の最終的勝利には、兵力運用、統帥の妙を駆使する必要がある。

1937年7月、北支で日中両軍の突発的な衝突が、大規模な軍事行動に発展。ここに支那事変が勃発した。
北支での緊迫する一方の情勢を憂慮していた帝國政府は、既に国内部隊の予備役動員を終えており、
20万の将兵を乗せた大輸送船団は大陸の友軍を救援すべく、勇躍征途についたのであった...

卑劣! 事変初頭の帝國陸軍大攻勢

内地を出発した大輸送船団は7/12、南支那海に展開していた。

「ハテ、我々は北支の友軍を救援しに行くのではなかったか?」と船上の将兵が首を傾げるのも無理はない。
敵を欺くにはまず味方から。これは帝國陸軍の高度な情報戦であり、
今回の作戦の真の目標は、華南に確固たる根拠地を築き、
中国の外国との洋上における連絡を遮断しうる有利な体制を構築することであったのである。
賢明なる行け行けドンドンの参謀本部は、長期的視野に立って
驕敵中国を完全屈服せしめる作戦を既に立案していたのである。

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上陸作戦は驚くほど容易に進行した。
いくら奇襲を受けたからといって広西軍閥軍はなんと無様な...

しかしこれには理由があった。交戦した敵ユニットは戦略的再配置中だったのである。
AIコンロール下の戦略的再配置中ユニットが攻撃を受けると、
戦闘の有利不利に拘わらず戦闘を続けようとはせず、すぐ撤退してしまうのだ。
華南に展開する広西軍閥の軍隊は、日本との交戦開始の瞬間から北支の中国軍を救援すべく
戦略的再配置を用いた全部隊の配置転換を実行し、皇軍はその隙をついたのである。

AIの盲点を突いた狡猾な果敢な作戦により、広西軍閥は自身のICの4割を占める広州を失い、
さらに鉱物資源豊かな海南島も皇軍に献上することとなった。
広州を基地とする我が潜水艦隊は多方面の艦隊と協力して中国沿岸海域を完全に制圧し、
以後中国は資源不足に苦しむこととなる。

しかしこれはただの前座にすぎない。帝國の戦いは皇軍を不法にも挑発し事変を始めた
邪悪なる蒋介石を悔い改めさせるまで終ることは無く、そのためには国民政府の首都南京に突入する必要があるのだ。
広州、海南島に若干の守備隊を残した帝國軍は、次なる戦場を求め、華南を後にした。

上海-南京攻略戦 

すわ北支で事変勃発と、自軍の大部隊を北上させていた国民政府は「皇軍、華南に上陸」の一報に驚愕した。
北支の日本軍は囮であり、日本軍の主攻は臨機応変に沿岸地帯を転戦する上陸部隊であったのだ。
「さすれば敵の次の目標は上海一帯ではないか?」という彼らの懸念は的中し、
八月上旬、皇軍は何の抵抗も無く堂々温州、福州一帯に上陸した。

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こうなるとそのすぐ北、上海近郊に駐屯する守備隊は、孤立無援下の敵上陸の報にたちまち恐慌状態となり、
持ち場を離れて逃走を開始。上海は上陸第二陣により無血解放された。

「上海陥落、首都南京危うし」
こうなっては致し方ない。満支国境に展開していた国民党軍は何ら戦果を挙げることなく、華中にとんぼ返りした。
この間北支に展開する帝國軍は(主に両軍の境界線上を流れる永定河によって)
鉄壁の防衛体制を構築しており、中国兵の侵入を一兵たりとも許すことがなかったという。

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華南に上陸した帝國軍は矢のように進撃し、国民党の悪政に苦しむ浙江省を解放した。
この間引っかかる獲物は雑魚ばかりで、大戦果を求める将軍達は悲嘆にくれた。

牟田口廉也.png 守備隊なんぞじゃ話にならん。中央系独式師団を連れてこい!

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このまま南京も無血解放かと思われたが、さすがに全て思い通りとはいかず、
南京一帯は厚い守りで固められてしまった。
南京は長江北岸にある(現実世界では南岸)にあるので上海方面からの攻撃は不利であり、
長江北岸より迂回攻撃する必要がある。

長江北岸には未だ大きな地歩を確立していないため、南京攻略作戦の第一戦は
前線部隊の突破に呼応した上陸部隊の側面攻撃により始まった。

この上陸部隊は騎兵部隊を改変した帝國陸軍虎の子の自動車化部隊で、
上陸と同時に勇躍して前進し、陸路突破してきた別動部隊と会合。
徒歩撤退中の敵部隊を忽ち包囲してしまった。

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自動車化部隊の鮮やかな包囲作戦に驚いた中国軍は随所で解囲を試み、
前線は全くの混戦状態に陥ったものの、片や突然の包囲に狼狽、狂奔する身であるのに対し、
もう片やは勝利の確信に満ち溢れながら綿密なる作戦の推移を見守る身である。
混戦をどちらが制したかは言うまでもないであろう。

かくして長江北岸に進出した皇軍であったが、南京までの最後の一歩で大きな躓きを見せてしまった。
南京を北側より包囲すべく、その西隣りのプロヴィンスに攻撃を仕掛けたが、
国民党軍唯一の機械化部隊である第200師などの勇戦敢闘により撃退されてしまった。

どうすれば良いのか?ごり押しは不可能、戦線に穴を開ける突破包囲もこの状況下では望めない。
司令部に沈痛な空気が立ち込めた。しかしながら必勝の祝詞により勝利を確信する将軍は閃いた。

牟田口廉也.png 南京そのものの守りはそれ程固くないかもしれん。南京に直接攻撃を!

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将軍の読みは正しかった。南京守備隊はそれまでの戦闘で消耗した二個師団で、容易く撃破することができた。
南京西方での中央系精鋭師団の奮戦も空しく、南京は陥落。蒋介石は自身の配兵ミスという過失により首都南京を失ったのだ。
かくして1937年10月、南京は皇軍の次期作戦のの重要拠点となり、我が方はますます有利な体制を確立することに成功したのである。

37年10月頃の華南戦線 

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海南島に上陸した敵を海軍で海路移動を封鎖、撤退不可能にして1個師団ずつ包囲殲滅する
AIハメ技高等戦術を駆使する帝國軍。中国軍も1個師団で駄目なら2個師団、
それでも駄目なら3個師団と対策を講ずるも、さうあらばと帝國軍が増援を投じれば中国軍は一人残らず殲滅されてしまった。

1937年10月〜1938年6月 華北戡定戦


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