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HOI4/Stalin by TROTSKY/4

HOI4/Stalin by TROTSKY

トロツキーは正しかった Trotsky was right.

二人の巨人の死闘の行方がまだわからなかった1941年春頃、イギリス政府はソ連に外交使節を派遣した。
ナチスドイツと戦争する英ソ両国がイデオロギーの違いを超えて手を結ぶのか、全世界が注目する。

外交官はいまだUボートの活動を排除できていないバルト海を避け、北極海からムルマンスクに上陸した。
ムルマンスクはかつてロシア内戦時代、白軍を支援するためイギリス軍が上陸した町である。
「かつて貴国の革命に干渉軍を送ったこの地から、我々の新しい関係がはじまることを願う」
使節は軽口を叩きながらモスクワに入城する。

彼を歓待したモロトフは、イギリスが西部戦線に第二戦線をつくってくれるという望みを吐露し、イギリス外交官に尋ねた。
「我々はいま200個師団と2個戦車軍団を動員してナチスの侵略に対処しています。貴国の援軍の規模は如何?」
イギリス外交官は答えた。「さしあたり1個歩兵軍団と2個戦車師団ですな」

イギリス人の熱意のなさにモロトフは落胆した。
反共主義者のチャーチルは、ナチスの国民社会主義とスターリンの一国社会主義は双生児で、互いに東ヨーロッパで潰しあえばいいと考えていた。
会談を終えたモロトフは別室で執務していたスターリンに事の次第を報告した。
スターリンの反応は公式記録には残っていない。
伝えられるところでは、彼は次のように言ったとされる。

トロツキーは正しかった。(トロツキー、ヴィル、プラーバ。)

とある新聞でこの挿話を目にした時、筆者はここに自分の名前を発見して当惑した。
スターリンが何を思ってこの発言をしたのか、ここから読み取ることは困難である。
この発言は西側ジャーナリストの作り話かもしれない。しかし、作り話にしてはよくできた作り話であろう。

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反資本主義外交のはじまり。

スターリンの戦後構想からこの時、イギリス連合国との協調路線が消えたのだというひともいる。
その後の歴史過程からやや後知恵的に施されたこの解釈もまた、放棄するには惜しいものがある。
要するに、ソ連は英仏労働者の死のような沈黙を受けて、独自の軍事力でナチスを打倒しなければならない。

「隕石」作戦 Operation METEO

バルバロッサ作戦の失敗は1941年初夏には明らかになった。
ナチスドイツは当初こそ優勢に戦局を進めたものの、重要な戦略目標は何一つ達成できなかった。
モスクワは勿論、レニングラード、ミンスク、そしてキエフもまたソ連側の手にあった。
赤軍の殲滅という目標は達成されず、逆にナチスの軍隊は攻勢に伴う出血で人的資源と装備をともに消耗し、急速にやせ細った。

Lwow方面で突出したドイツ軍を敗走させたトハチェフスキーは、自信をつけてスターリンに上奏した。
反撃の時はきた、と。
スターリンがこれをうけて反攻作戦を計画するよう伝えた。
トハチェフスキーはブリュッヘルとともに反攻作戦「隕石」を立案した。

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「隕石」作戦

「隕石」作戦のあらましはこうだ。
トハチェフスキー麾下の200個歩兵師団が全戦線にわたって攻勢に出、ドイツ軍を戦場に拘束して彼らの機動防御を封じる。
つぎにジューコフとコーネフの機甲軍団をもって敵戦線を突破し、戦線を西に押し上げる過程で敵戦力を各個撃破、包囲殲滅する。

「隕石」作戦は1941年4月23日に開始された。
ソ連軍による初めての全面攻勢にナチスは狼狽し、当初戦局はソ連側の優勢のうちにすすんだ。
とくにポーランド中部とルーマニア方面で赤軍は勝利を重ね、戦線を元の国境に押し戻したのみならず、数キロから数十キロと前進した。
だがナチス軍が防衛陣地を強固に築くようになると、赤軍は攻め手に欠き、勢いを減衰させた。
戦略目標は達成されなかった。
ナチス軍は包囲殲滅を逃れてほぼ全軍が後退に成功し、ソ連はプロヴィンスを確保したものの敵戦力を殲滅することはできなかった。
ナチスの出血は凄まじかったが、赤軍の出血もまた夥しい量にのぼった。
スターリンは7月19日、攻勢の停止を命じた。
「隕石」作戦を失敗に終わったように見えた。

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「太陽」作戦 Operation SUN


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